雪(令和8年2月15~16日掲載分)


◎ 雪(令和八年二月十五~十六日掲載分)
● 令和八年二月十五日 日曜日
○ 十一月日々折々 その十八 冬
《今回の自選代表七句と自句自解》

冬の会「酒徒曼荼羅(しゅとまんだら)」の構成吟 
冬の会詩文複数の構成吟 
冬の会詩文に複数酒と酔い 
冬の会なかの詩文に「四海波(しかいなみ)」 
冬の会詩文吟詠「四海波」 
冬の会箏と尺八伴奏に 
冬の会吟詠と詩舞楽しめり 

 2025年11月16日(日)に松戸市民会館で松戸市吟詠連盟主催の「第56回 吟詠の集い」が開催された。
 第一部、第二部の会員吟詠の後、四十分間の「酒徒曼荼羅(しゅとまんだら)」の構成吟が披露された。「酒徒曼荼羅」では、「醉酒・酔月・酔吟」など酒と酔を様々な形で取り入れた詩文で構成されていた。
 その中の詩文の「四海波(しかいなみ)」では、箏と尺八伴奏に吟詠と舞いが披露された。見応えがあった。拍手。

( 十一月中旬 「第56回 吟詠の集い」➂)
二十番「峨眉山月歌」冬の会
㊟「峨眉山月歌」・・・
🌊 李白の「峨眉山月歌」
李白の「峨眉山月歌」は、唐代の詩人である李白がまだ若かった頃、諸国を旅する中で詠んだとされる七言絶句の代表作です。この詩は、彼が故郷を出て長江を下る旅の途上で、峨眉山にかかる月を眺めながら作られました。
📜 詩の情景と内容
この詩は、峨眉山にかかる半月の光が平羌江の水面に映り、その光が流れていく情景から始まります。夜に清渓の町から船出し、三峡へ向かう李白は、深く思う相手のことを考えますが、その姿は見えず、船はそのまま渝州(現在の重慶)へと下っていきます。
峨眉山:中国四川省にある山で、仏教の聖地としても知られています。
平羌江:かつては青衣江と解釈されていましたが、近年の研究では岷江を指すと考えられています。
清渓:現在の四川省漢源県に位置する宿駅です。
三峡:長江に沿って連なる峡谷群ですが、この詩における「三峡」は、四川省楽山の黎頭峡、背峨峡、平羌峡を指すこともあります。
渝州:現在の重慶にあたります。
📝 詩の形式
「峨眉山月歌」は七言絶句という形式で書かれており、7文字の句が4行で構成されています。この詩では、「秋」「流」「州」で韻を踏んでいます。(AIアシスタントより転載)
吟詠者抑揚に思い冬の会
冬の会吟詠者に客拍手して
冬の会今十五分休憩中
冬の会休憩終えて構成吟
㊟構成吟・・・構成吟とは、詩吟の発表形式の一つで、特定のテーマに基づき複数の詩文を組み合わせ、ナレーションやBGM、舞台照明などの演出を加える総合的な舞台芸術です。これにより、詩文の背景や作者の心情が聴衆に深く伝わります。
・構成吟の概要
構成吟は、単に詩を吟じるだけでなく、一つの主題に沿って複数の詩文を選びます。ナレーションで詩の歴史的背景や作者の気持ちを説明し、聴衆の理解を深めます。
・構成吟の要素
複数の詩文: 特定のテーマに沿って選ばれた詩文が組み合わされます。
ナレーション: 詩文の背景や作者の心情を解説し、物語性を高めます。
演出: BGMや舞台照明、時には剣舞・扇舞なども取り入れられ、総合的な芸術として表現されます。
・詩吟との関係
詩吟は、漢詩や和歌などを独特の節回しで歌う日本の伝統芸能です。構成吟は、この詩吟をより魅力的に見せるための発表形式の一つと言えます。
・構成吟の例
過去には「長恨歌」「奥の細道」「西郷南洲」といった歴史上の人物や文学作品をテーマにした構成吟が上演されています。また、時事的なテーマを扱った構成吟も存在します。
・構成吟の目的
構成吟は、詩吟が持つ魅力を最大限に引き出し、聴衆に深い感動を与えることを目指します。詩の世界観を多角的に表現することで、より多くの人々に詩吟の奥深さを伝えます。(AIアシスタントより転載)
⦿『「構成吟」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二千五十六)》
冬の会「酒徒曼荼羅(しゅとまんだら)」の構成吟 
冬の会詩文複数の構成吟 
冬の会詩文に複数酒と酔い 
冬の会舞台照明付き吟に
冬の会四十分の構成吟
冬の会なかの詩文に「四海波(しかいなみ)」 
㊟四海波(しかいなみ)・・・
本宮三香(もとみや さんこう)は、詩吟「四海波(しかいなみ)」の作者として知られる人物です。彼は1万首以上の詩を作ったとされており、お酒を愛し、風雅な生涯を送った後、77歳で病で亡くなりました(昭和29年)。
🎭 本宮三香と「四海波」
「四海波」の概要
「四海波」は、天地四方が穏やかでめでたく始まった様子や、相生(あいおい)の松が仲良く生い茂り、風もない佳き日を描写した漢詩です。謡曲「高砂」の一節を詠み上げると喜びがこみ上げてくる様子や、新郎新婦が固めの盃を交わし、神前で永遠の契りを誓う、非常にめでたい情景が歌われています。この詩は、特に結婚披露宴などお祝いの席で和歌を挿入して吟じられることが多いようです。
(AIアシスタントより転載)
冬の会詩文吟詠「四海波」
冬の会箏と尺八伴奏に 
冬の会吟詠と詩舞楽しめり 

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● 令和八年二月十六日 月曜日
○ 十一月日々折々 その十九 雪
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬の会会主詩吟に魅せられて
冬の会我知る詩吟の奥深さ 

 2025年11月16日(日)に松戸市民会館で松戸市吟詠連盟主催の「第56回 吟詠の集い」が開催された。
 第一部、第二部の会員吟詠の後、四十分間の「酒徒曼荼羅(しゅとまんだら)」の構成吟が披露された。更にその後第三部の会員吟詠、第四部の代表者(加盟各流派・各団体の会の代表者のこと)吟詠は、さすがであった。詩吟の奥深さを改めて知らされた。

( 十一月中旬 「第56回 吟詠の集い」④)
冬の会再び休憩十五分
冬の会休憩済ませて第三部
※第三部・・・会員吟詠の出番二十一番から三十三番まで。
冬の会三度(みたび)会員吟詠に
冬の会二十二番は「九月十三夜」(破調)
㊟「九月十三夜」・・・
✒️上杉謙信の「九月十三夜」
上杉謙信が詠んだとされる漢詩「九月十三夜」は、日本の漢詩の中でも特に親しまれてきた作品の一つです。正式な詩題は「九月十三夜陣中作」と言われています。
🌍 詩が詠まれた背景
上杉謙信が能登国の七尾城を攻め落とした1577年、陰暦9月13日の夜に、将兵を慰労する宴の席で詠んだと伝えられています。この日は「仲秋の名月」に次ぐ美しい月が輝く夜でした。七尾城攻略の本陣が、能登と越中を一望できる石動山にあったと言われており、その地でこの詩が作られたと考えられています。
🧐 謙信の文武両道の精神
上杉謙信は戦国武将でありながら、四書五経に通じ、国学にも造詣が深い文武両道の人物でした。この詩の「霜」や「雁」といった言葉からは季節感が、そして全体の情景からは武将らしからぬ風雅な精神が感じられます。また、通常、故郷を思う詩が多い中で、「故郷の人が遠征の自分を思う」と逆転の発想で表現している点も特徴的です。(AIアシスタントより転載)
冬会に関西吟詩哲皚会(てつがいかい)
冬の会詠者ブラウス・スカート着
冬の会白ブラウスに青スカート
※白いブラウスに青いスカート着は、今回の関西吟詩哲皚会(てつがいかい)の会員女性のユニフォームのようなものであった。
冬の会抑揚付けて女子吟詠 
冬の会抑揚付けて女子独吟
冬の会箏と尺八伴奏に
冬の会観客席から拍手湧く
冬の会三十三番吟「菊花」
冬の会観客席から拍手湧く
冬の会第三部終えまた休憩
冬の会休憩終えて第四部
※第四部・・・代表者吟詠で出番三十四番から四十番まで。
第四部代表吟詠冬の会
冬の会舞台背面に金屛風
冬の会舞台中央に演台が
冬の会演台右にスタンド花
冬の会代表演台前にして
冬の会三十四番吟詠し
※三十四番・・・洸祥会代表の池田氏が該当。
冬の会詠者「田園の楽しみ」を
冬の会詠者王維の作詩吟
冬の会三十五番吟詠し
※三十五・・・松戸市吟詠連盟理事長 能登圀曠氏(日本國誠流詩吟連盟松戸支部代表)が該当。
冬の会良寛作の「余生」吟
冬の会聴き応えある吟詠に
冬の会三十六番欠席し
冬の会三十七番独吟し
※三十七番・・・公社関西吟詩文化協会 哲皚会(てつがいかい)の鈴木氏が該当。
冬の会劉禹錫(りゅううしゃく)作の「秋思」の吟
冬の会三十八番吟詠し
※三十八番・・・松誠会代表の岸氏が該当。
冬の会三十八番俳句吟 
冬の会代表岸氏俳句吟
冬の会和服姿で俳句吟
冬の会小林一茶の俳句吟
冬の会吟詠俳句「これがまあ」 
代表者吟詠俳句「雪とけて」 
冬の会三十九番吟詠し
※三十九番・・・宗吟会代表の畑澤氏が該当。
冬の会三十九番俳句吟 
冬の会畑澤氏も俳句吟
冬の会洋服姿で俳句吟
冬の会松尾芭蕉の俳句吟
冬の会吟詠俳句「菊の香や」 
冬の会最後の吟詠四十番
※四十番・・・鶯風会代表の小杉氏が該当。
冬の会白髪姿の吟詠者
冬の会安藤残雨の「京の月」
冬の会吟詠小杉の太い声
冬の会箏と尺八伴奏に
冬の会会主詩吟に魅せられて 
冬の会我知る詩吟の奥深さ 
㊟詩吟・・・詩吟(しぎん)は、漢詩や和歌などを独特の節回しで歌う芸能。吟詠(ぎんえい)、吟道(ぎんどう)とも呼ばれる。
・特徴
歌のように詩をリズム・メロディに乗せるのではなく、詩文の素読(朗読)を基本とし、素読の後に特有のメロディ(節調)を加えることで詩情を表現する。
具体的には「はーるーこーおーろーおーのー、はーなーのーえーんー」と歌うのではなく、「はるゥーー(節調)こーろーのォーー(節調)、はなのォーー(節調)えんンーー(節調)」というように、語尾の母音を長く引き、そこで節調を行うことになる。
詩吟の対象は主に漢詩であるが、和歌・俳句・新体詩を吟ずることも少なくない[1]。ただし長いものは好まれず、七言絶句が一般的である。
・歴史
奈良時代の漢字伝来とともに、日本でも漢詩に節を付けて吟じるようになったとされる[2]。直接の起源は、江戸時代後期に私塾や藩校で漢詩を素読する際に独特の節を付けたことである[1]。特に、日田の咸宜園や江戸の昌平黌において行われていた節調が、多数の門人によって日本全国に広められた。
明治時代、明治天皇が詩吟を好んだことから詩吟が流行[2]。詩吟に合わせて剣舞も演じられるようになる[2]。大正から昭和初期にかけては、木村岳風・山田積善・立川銀涯・初代藤井宗斎といった吟詠家が活動し、現在の諸流派の祖となった。
戦争中は、詩吟は国威高揚に資するものとして奨励されていたが[要出典]、戦後は、古今の名詩を味わい、美しい日本語をもって表現するという側面が前面に出されるようになった。このため、素読から始まった詩吟も、精神面に加え、アクセントや音楽性が重視されるようになっている。
昭和後期には三橋美智也・二葉百合子らが歌謡曲に詩吟を織り込んだ吟詠歌謡を発表。平成に入ってからは、二葉の弟子の石原詢子[3]が詩吟入りの演歌を発売している。石原の楽曲「明日坂」はオリコン演歌チャート1位を記録した。
胸式・腹式の両方を使う特別な呼吸法を用いる[2]ため、健康法として取り上げられることもある。
・公演
独吟といい、一人で吟ずるのが本来の姿であるが、複数人で順に吟ずる連吟や、合唱のように声を合わせる合吟といったかたちでの吟詠もよく行われる[2]。
吟詠に剣舞・詩舞を伴うこともある。無伴奏が基本であるが、琴や尺八による伴奏を付けることもあり、21世紀初頭には、あらかじめ録音されたCDによる伴奏も普及した。
ある程度の規模の公演においては、企画構成吟(単に構成吟とも)が行われることがある。これは、特定の主題のもとに複数の吟目が組み合わされ、ナレーションやBGM、舞台照明といった演出にも工夫が凝らされる総合的な舞台芸術である。
・流派
詩吟の流派は全国で3,000ほど存在する[1]。詩吟の振興に関する全国的な組織には公益財団法人日本吟剣詩舞振興会・日本吟詠総連盟・日本コロムビア吟詠音楽会があり、各都道府県に支部がある。(Wikipediaより転載)
⦿『「詩吟」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二千五十七)》
冬の会代表者らへ客拍手
冬の会閉会の辞で閉演し
冬の会終演は午後三時半
冬の会終演後すぐ家路就く
冬の晴日を背に浴びて家路就く


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