秋の雨(令和8年1月18~19日掲載分)
◎ 秋の雨(令和八年一月十八~十九日掲載分)
● 令和八年一月十八日 日曜日
○ 十月日々折々 その四十二 秋の雨
《今回の自選代表三句と自句自解》
文化祭舞踊鑑賞久し振り
秋の会舞踊の披露「武田節」
秋の会着物姿で踊り披露
1 0月26日(日曜)に松戸市民会館で「第七十七回松戸市文化祭 馬橋芸能連合会舞踊大会」が開催された。
舞踊の鑑賞は、久し振り。午前十時半から開演した。一番目は、第二文月会の「武田節」の新日本舞踊。やはり、見応えがある。拍手。
(十月下旬 「馬橋芸能連合会舞踊大会」①)
出掛ける日秋の雨降る天気予報
十月に舞踊大会鑑賞に
文化祭舞踊大会その中に
※舞踊大会・・・ここでは、「第七十七回松戸市文化祭 馬橋芸能連合会舞踊大会」のこと。
第七十七回松戸市文化祭
馬橋芸能連合会舞踊大会
日時 1 0月26日(日曜)10時30分から17時30分
場所 松戸市民会館 大ホール
主催 馬橋芸能連合会
(松戸市民会館HPより転載)
※なお、「第七十七回松戸市文化祭 馬橋芸能連合会舞踊大会」は、令和7年10月26日 (日)に開催されたので、ここでは「秋の会」と表現します。または、文化祭のままで。
また、俳句は字数が限られていますので、基本的に敬称は省略させて頂きます。時にはイニシャルで表現させて頂くこともあります。
秋の日にいそいそ出掛ける舞踏会
文化祭歩いて市民会館へ
文化祭舞踊鑑賞久し振り
文化祭受付済ませ会場内
秋の会プログラム手に座席着く
秋の会プログラムには番組が
※プログラムには番組が・・・プログラムには一番から四十九番まで番組が掲載され、舞踏の演目と舞踏団体名や踊り手の名前が記載されている。
今回は、鑑賞した中で印象深い舞踏を中心に俳句を掲載させて頂きます。なお、私的に中座させて頂いた時間もあります。ご理解の程よろしくお願いします。
秋の会舞台で披露新日舞
㊟新日舞・・・「新日本舞踊」の略。
「新日本舞踊」は、日本の古典的な日本舞踊をより親しみやすく現代的にしたものです。演歌や歌謡曲、民謡といった現代になじみのある曲に合わせて、自由に振り付けを創作して踊ります。
🌸 新日本舞踊とは
新日本舞踊は「新舞踊」や「歌謡舞踊」、「創作舞踊」とも呼ばれ、日本舞踊を基本としつつも、現代の音楽を取り入れたダンスです。
🎵 楽曲と振り付け
新日本舞踊の大きな特徴は、演歌や歌謡曲、民謡など、現代の私たちの耳になじみ深い曲をBGMとして使う点です。古典舞踊が使う謡曲とは異なり、これらの身近な曲に合わせた振り付けが自由に創作されます。また、日本舞踊の曲を短くしたり、踊りを簡素化したりすることもあります。
✨ 歴史的背景
大正時代には、坪内逍遥や小山内薫らが提唱した「新舞踊運動」が起こり、舞踊家が独自に振り付けを創作し、公演を行うスタイルが確立されました。この運動は、演劇界に新派(劇)が誕生し、歌舞伎に新たな要素が求められる中で、日本舞踊が歌舞伎から独立して発展していくきっかけとなりました。戦後の民謡・歌謡曲ブームを背景に、これらの流行歌に振り付けを創作して踊るようになり、新舞踊として広まりました。
🎭 流派の多様性
現在、新舞踊の流派は200から300とも言われるほど多数存在し、日本全国だけでなくアジア圏にも広がっています。例えば、1978年に創流された真乃流は、古典舞踊の技術を基本に現代人の感覚で「人生の喜怒哀楽」を表現する創作新日本舞踊を提唱しています。
💃 現代の活動
新日本舞踊は、地域の芸術文化の発展に貢献しており、発表会なども積極的に開催されています。YouTubeなどでも、様々な団体や踊り手による新日本舞踊のパフォーマンスを見ることができます。(AIアシスタントより転載)
⦿『「新日本舞踊」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二千三十三》
秋の会十時半より開演す
秋の会観客席に六七十
秋の会定刻開演午前の部
※午前の部は、番組一番から二十番まで。
秋の会司会番組案内を
※司会・・・久保山光枝氏。
秋の会司会立ち方紹介し
秋の会着物姿の踊り手が
秋の会番組一番文月会
※文月会・・・ここでは第二文月会。
秋の会舞踊の披露「武田節」
秋の会着物姿で踊り披露
秋の会着物で踊り披露して
秋の会手の動き生かし舞踊披露
・・・・・・・・・・・
● 令和八年一月十九日 月曜日
○ 十月日々折々 その四十三 秋
《今回の自選代表六句と自句自解》
秋の会番組九番雅会
※雅会・・・ここでは、雅会台湾支部。
秋の会「恋の柳橋」舞踊披露
秋の会留袖姿で舞披露
秋の会手振りの表現見事かな
秋の会客から掛け声「良かったよ」
秋の会観客席から拍手湧く
1 0月26日(日曜)に松戸市民会館で「第七十七回松戸市文化祭 馬橋芸能連合会舞踊大会」が開催された。
舞踊の鑑賞は、久し振り。午前十時半から開演した。番組九番目は雅会台湾支部。留袖姿の若い女性二人が息を合わせて「恋の柳橋」の舞踊を披露した。特に手振りの仕草が良く、恋の様子がよく表現されていた。客席からは、「良かったよ」の声が飛んだ。また、拍手も。
(十月下旬 「馬橋芸能連合会舞踊大会」②)
秋の会番組二番は欠席し
秋の会番組三番雅会
※雅会・・・ここでは、雅会台湾支部。
秋の会「佐渡の恋唄」の舞踊披露
秋の会二人華やかな着物着て
秋の会手振り仕草で恋表現
秋の会各立ち方に客拍手
秋の会番組四番香月会
秋の会「いつわりさのさ」の舞踊披露
秋の会手さばき見事な舞披露
秋の会番組五番園助会
秋の会舞踊の披露「三崎節」
秋の会次つぎ舞踊披露して
秋の会番組六番文月会
※文月会・・・ここでは第二文月会。
秋の会「おんな太兵衛」の舞踊披露
※「おんな太兵衛」・・・「おんな太兵衛」黒田節入り
秋の会槍を手にして黒田節
秋の会振袖姿で舞披露
秋の会袖口握り舞い踊る
秋の会袖の扱いで恋表現
秋の会女性見事な袖使い
秋の会番組七番雅会
※文月会・・・ここでは第三雅会。
秋の会「娘道成寺」の舞踊披露
㊟「娘道成寺」・・・『娘道成寺』(むすめどうじょうじ)とは、歌舞伎舞踊の演目のひとつ。またその伴奏音楽である長唄の曲のひとつ。今日では、『京鹿子娘道成寺』(きょうがのこむすめどうじょうじ)が正式な外題である。
概要
能の『道成寺』に基づく。
初演:宝暦3年 (1753年) 3月、江戸中村座の『男伊達初買曽我』(おとこだてはつかいそが)の三番目に上演。初代中村富十郎の白拍子(横笛)[1]。
作詞:藤本斗文[2]
作曲:初世杵屋弥三郎、補作:初世杵屋作十郎(伝)
振付:初代中村傳次郎[3]
古くは道成寺伝説を題材にした「道成寺もの」と呼ばれる演目や踊りが複数あり、それぞれお家芸である独特の所作や振付けなどを盛り込んだものだった。初代富十郎はそうした「道成寺もの」の中から、初代瀬川菊之丞が踊った『百千鳥娘道成寺』(ももちどりむすめどうじょうじ)を構成の土台とし、自らの当り芸である『娘道成寺』を作り上げた。そして現在まで曲と振付けが揃って伝わるのは初代富十郎の『娘道成寺』のみとなってしまったので、歌舞伎や日本舞踊で『娘道成寺』といえば通常初代富十郎が演じたものを指す。(Wikipediaより転載)
⦿『「娘道成寺」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二千三十四)》
秋の会番組八番景佳仙(けいかせん)
※景佳仙(けいかせん)・・・若月景佳仙(わかつきけいかせん)のこと。
秋の会舞踊の披露「細雪」
秋の会扇で雪の表現を
秋の会扇のあつかい見事なり
秋の会扇のあつかい見事かな
秋の会番組九番雅会
※雅会・・・ここでは、雅会台湾支部。
秋の会「恋の柳橋」舞踊披露
秋の会留袖姿で舞披露
秋の会手振りの表現見事かな
秋の会客から掛け声「良かったよ」
秋の会観客席から拍手湧く
この記事へのコメント