秋晴(令和6年11月2~3日掲載分)
◎ 秋晴(令和六年十一月二~三日掲載分)
● 令和六年十一月二日 土曜日
○ 九月日々折々 その十七 秋暑し
《今回の自選代表句と自句自解》
秋暑しサンバパレード盛り上がり
「浅草サンバ 2024」が開催されている。九月十五日(日)の午後の浅草の馬道通りの両側には、大観衆。すごい盛り上がりだ。
(九月中旬 「浅草サンバ 2024」⑤)
秋の午後応援馬道通り沿い
秋の午後通りの両に大観衆
秋の午後サンバパレード進行中
秋の午後「マツド・セレージャ」目の前に
※「マツド・セレージャ」・・・フロール・ヂ・マツド・セレージャ(S1リーグ 千葉県松戸市のサンバチーム)
秋の午後「マツド・セレージャ」目の前を
秋の午後サンバダンサー目の前を
秋の午後馬道通りを行くダンサー
秋暑しサンバのリズム熱帯びて
秋暑しサンバパレードある熱気
秋暑しサンバパレード熱気あり
※サンバパレード熱気あり・・・浅草サンバカーニバルが5年ぶり完全復活!
東京・浅草では夏のフィナーレを飾る『浅草サンバカーニバル』が行われ、色とりどりの衣装に身を包んだダンサーが街をパレードしました。 40年以上の歴史があるサンバカーニバル。 2020年以降はコロナ禍で延期や縮小を余儀なくされましたが、2024年は5年ぶりの完全復活での開催となりました。 東京都心の最高気温が34度を超える中、沿道には多くの人が集まり、中にはノリノリの人もいました。(9/15(日) 18:39 FNNプライムオンラインより転載)
(追記)
今年は19団体およそ4400人が参加し、雷門の前などおよそ800メートルを軽快なステップで練り歩き、浅草の町にサンバのリズムが鳴り響きました。(仲見世バルバロスHPより転載)
秋の午後サンバパレード進行す
秋暑しサンバパレード盛り上がり
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● 令和六年十一月三日 日曜日
○ 九月日々折々 その十八 秋晴
《今回の自選代表句と自句自解》
秋晴や浅草寺にて参拝す
残暑は厳しいが、秋晴れ。二天門から境内に入り、浅草寺にて所願成就を祈念した。
(九月中旬 「浅草サンバ 2024」⑥)
秋小旅頃合い図り浅草寺へ
㊟浅草寺・・・浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)と号する。聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音(あさくさかんのん)として知られている。山号は金龍山。 元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立して聖観音宗の本山となった[1]。都内では坂東三十三観音唯一の札所(第13番)、また江戸三十三観音札所の第1番でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っている[注釈 1]。(Wikipediaより転載)
秋小旅二天門より寺境内
㊟二天門・・・本堂の東に建つ朱塗りの門で、今の門は慶安2年(1649)に浅草寺の東門として創建された。当初は随身門といわれ、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像(随身像)として左右に祀っていた。
明治17年(1884)、神仏分離によって随身門に安置されていた随身像は、浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納された。このとき名称を随身門から二天門と改めた。この二天の像は、昭和20年(1945)に修理先で戦災にあって惜しくも焼失し、現在の持国・増長の二天像は、昭和32年(1957)に上野・寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)から拝領した像。門に向かって右が持国天、左が増長天である。
二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重であり、国の重要文化財に指定されている。平成22年(2010)に改修を終え、創建当初の鮮やかな姿によみがえった。(浅草寺HPより転載)
⦿『「二天門(浅草寺)」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千六百八十四)》
秋晴や境内人込む浅草寺
残暑かな浴衣の男女ちらほらと
秋晴や外人観光客あまた
秋晴や浅草寺にて参拝す
秋晴や浅草にて参拝
㊟浅草神社・・・浅草神社(あさくさじんじゃ)は、東京都台東区浅草に所在する浅草寺本堂の東隣りにある神社である。通称に三社権現(さんじゃごんげん)、三社様(さんじゃさま)。5月例大祭は三社祭という。(Wikipediaより転載)
残暑かな頃合いはかり帰路に就く
帰り道見上げる空にうろこ雲
秋夕べサンバ楽しみ無事帰宅
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