夏祭(令和6年8月26~27日掲載分)
◎ 夏祭(令和六年八月二十六~二十七日掲載分)
● 令和六年八月二十六日 月曜日
○ 六月日々折々 その三十一 夏祭
《今回の自選代表四句と自句自解》
夏祭街道に笛や太鼓の音
笛太鼓今日は松戸の夏祭
ここ松戸旧街道を山車は行く
ここ松戸旧街道を行く神輿
令和六年六月三十日(日)午後二時から松戸市の総鎮守松戸神社の神楽殿とその周辺で夏越の大祓(なごしのおおはらえ)が執り行われた。
夏越の大祓が終了後には、松戸神社の前の旧水戸街道上を夏祭の山車や神輿が、笛や太鼓の音を響かせながら威勢の良い祭の掛け声とともに通り過ぎて行った。
(六月下旬 日常生活④)
蒸暑しコップで頂く御神水
夏越後に江戸川堤へ散歩しに
夏越後に境内抜けて通りへと
夏越後に陣屋口橋渡り行く
夏祭街道に笛や太鼓の音
笛太鼓今日は松戸の夏祭
ここ松戸旧街道を山車は行く
ここ松戸旧街道を行く神輿
夏越後に旧街道を渡り越す
夏越後に本陣跡地の碑の前に
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● 令和六年八月二十七日 火曜日
○ 六月日々折々 その三十二 緑
《今回の自選代表三句と自句自解》
江戸川の川辺の木立緑なり
川沿いに緑の木立帯なして
江戸川の緑の隙間に川面見え
六月末の江戸川沿い木立は緑を濃くしていた。江戸川沿いの木立は、金町近くの葛飾橋の方から今私がいる赤圦樋門(あかいりひもん)の先の上流方向に緑の帯をなしていた。
(六月下旬 日常生活⑤)
夏越後に鮮魚街道沿い歩く
夏越後にさらに歩いて杭跡に
※杭跡・・・ここでは、御料(ごりよう)榜示杭(ほうじぐい)跡(松戸宿・南側) のこと。
江戸時代、水戸街道を船でつなぐ渡しは重要な関門で、金町側に関所が設けられていました。この通りは、「渡船場道」と呼ばれ、両側に旅籠屋や船持・船乗・魚類商が軒を連ね、「松戸宿の出入口を示した榜示杭」が立てられていました。
平成7年に「是より御料松戸宿」の碑が立てられました。(松戸市観光協会サイトより転載)
⦿「御料榜示杭跡(松戸宿・南側)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千六百三十七)》
夏越後に到着榜示杭跡地
夏越後に杭跡地より堤へと
六月末江戸川堤を散歩して
六月末「水戸街道」を口ずさむ
※「水戸街道」・・・新曲「水戸街道」・・・作詞:万城たかし 作曲:徳久広司 編曲:矢田部正 歌手:奈良崎正明 2024年5月22日発売
(歌い出し) 千波の池の 桜も梅も つぼみ芽を♪
江戸川の川辺の木立緑なり
川沿いに緑の木立帯なして
六月末赤圦樋門より眺む
※赤圦樋門(あかいりひもん)・・・赤圦樋門(あかいりひもん)。松戸市松戸。2012(平成24)年4月18日坂川から別れる派川坂川が江戸川に流入するところにある水門。
(追記)
江戸時代から開削が進んだ坂川は、元々が低湿地のため大雨が降ると水はけが悪く、すぐに洪水を起こしました。坂川が流山方面から松戸宿まで掘り進められるにあたり、江戸川との水位差を調整する必要があったため、2つの川が接近するこの場所には文化10年(1813)坂川への逆流を防ぐための樋門がつくられました。現在の樋門は新しい堤防とともに昭和33年(1958)に改築されたものです。(松戸市観光協会サイトより転載)
⦿「赤圦樋門(あかいりひもん)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千六百三十八)》
江戸川の緑の隙間に川面見え
江戸川の緑の隙間に川面ゆ
六月末江戸川堤より家路
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