桜若葉(令和6年7月9~10日掲載分)


◎ 桜若葉(令和六年七月九~十日掲載分)
● 令和六年七月九日 火曜日 
○ 五月日々折々 その二十 アイスドリンク
《今回の自選代表三句と自句自解》

初夏の旅再びアイスドリンクを 
初夏の昼ゆったりまったりくつろげり 
初夏の旅後半のコース確かめて 

 快晴の五月中旬の土曜日。第二回目の甲州街道巡り。幡ヶ谷駅付近まで来た。ここまで休まずに来たので、休憩も含めて早めに昼食を摂ることにした。近くにファミリーレストランのガスト幡ヶ谷店があったので、入店した。「ねぎとろ丼ランチ」を食べた。やはり、美味い。昼食後は、アイスドリンクをお代わりしながらくつろいだ。
 店の窓辺の立ち木の新緑に癒される。若葉時、店内の窓辺は明るい。一時間以上くつろいだ。
 くつろぎながら、後半のコースを確認した。

《五月中旬 甲州街道巡り(第二回)その十四(内藤新宿②から高井戸宿①方面)》
レストラン店の窓辺の若葉揺れ
店外の木の葉を揺らす初夏の風
レストランお店の外は若葉晴
若葉時窓辺で楽しむ外景色
旅先で食後もアイスドリンクを
初夏の旅再びアイスドリンクを 
初夏の昼ゆったりまったりくつろげり 
初夏の旅後半のコース確かめて 
初夏の旅後半のコース確認し
初夏の旅食後後半コースへと

・・・・・・・・・・・

● 令和六年七月十日 水曜日 
○ 五月日々折々 その二十一 桜若葉
《今回の自選代表句と自句自解》

若葉晴くるくる回す大念珠 

 快晴の五月中旬の土曜日。第二回目の甲州街道巡り。清岸寺(せいがんじ)の本堂前にある百万編吊り大念珠を念じながらくるくると手で回した。ご利益がありそうだ。合掌。

《五月中旬 甲州街道巡り(第二回)その十五(内藤新宿②から高井戸宿①方面)》
古刹へと向かう路傍に立葵 ○
⑩ 清岸寺
夏の旅歩いて程なく清岸寺
初夏の旅五分歩いて清岸寺
㊟清岸寺・・・清岸寺(せいがんじ)は、東京都渋谷区幡ヶ谷二丁目36番1号にある、浄土宗の寺院。山号は法界山(ほうかいざん)。
 概要[編集]
 法界山清岸寺は、『新編武蔵国風土記稿』によれば、1624年(寛永元年)石州津和野の専蓮社覚誉呑了(1647年(正保4年)12月15日寂)という僧によって創建された[1]。清岸寺(龍池山不断院)は、もと参宮橋南側の代々木山谷(現乗馬倶楽部)にあり、そのころは宝地山と称していた。1908年(明治41年)に、敷地が陸軍省に買い上げられ代々木練兵場になることになり、現在地の住僧なく荒廃した法界寺[注釈 1]の跡に移転し、山号を法界山と改めた[3]。 門前ののぼり坂の左側に石仏が3基、如意輪観音(にょいりんかんのん)、地蔵、笠付型庚申塔の順に並んでおり、庚申塔には畑ヶ谷(現幡ヶ谷の元の地名)村の文字が見える。また、門前を通る現在の中野通りは鎌倉古道であったといわれている[4]。(Wikipediaより転載)
⦿「清岸寺(せいがんじ)(東京都渋谷区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千六百七)》
初夏の旅寺門脇に庚申塔
※庚申塔・・・門脇の笠付型庚申塔には畑ヶ谷(現幡ヶ谷の元の地名)村の文字が見える。
寺境内桜若葉の大樹あり
境内に内桜若葉の大樹あり
新緑の桜の傍に住職墓
※住職墓・・・歴代上人之墓のこと。
夏日射す寺の境内明るくて
夏日射す寺の境内明るかり
初夏の旅本堂前にて合掌す
初夏の旅本堂前に大念珠
※大念珠・・・ここでは、百万編吊り大念珠のこと。
㊟百万編吊り大念珠・・・「百万遍(ひゃくまんべん)珠数(じゅず)繰(く)り」とは、「百万遍(ひゃくまんべん)念仏(ねんぶつ)」を修するためにお数珠(じゅず)を繰(く)ることです。(清岸寺・当山紹介より転載)
(追記)
 知恩寺は、「念珠繰り(数珠繰り)」発祥の地。“念珠繰り”というのは、老若男女が集い、大きな念珠(数珠)を膝の上にのせて、ひと玉ひと玉を順に隣に送りながらお念仏を称(とな)えるというもので、特に知恩寺の念珠繰りは「百萬遍念珠繰り」と呼ばれる由緒あるもの。「百萬遍」の号は後醍醐天皇から賜ったもので、それが現在の交差点名の由来となっています。(“百万遍”の由来とは?より転載)
⦿『「百万遍珠数繰り」(清岸寺)とは』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千六百八)》
若葉晴くるくる回す大念珠

➁「人気ブログランキング」への「応援クリック」(ポチ)を頂ければうれしいです。ご協力ありがとうございます。力と励みになります。
 なお、①「にほんブログ村 」は、「飯島治蝶の俳句ブログ」のブログ名・ブログ紹介欄の末尾に載せています。

この記事へのコメント