花見客(令和6年5月28~29日掲載分)
◎ 花見客(令和六年五月二十八~二十九日掲載分)
● 令和六年五月二十八日 火曜日
○ 四月日々折々 その十三 山吹
《今回の自選代表二句と自句自解》
春の旅しばらく歩いて御手洗池
池傍の古木の桜七分咲き
天気予報通り朝からよく晴れた令和六年四月二日(火)に、中山道の板橋宿巡りの志村コースの散策を楽しむ。
十二番目の目的地は、御手洗池(みたらしいけ)傍の御手洗不動。池の程近くには、七分咲きの桜の古木がある。
(四月上旬 中山道の板橋宿巡り C志村散策コース その十三)
⑥ 御手洗不動(旧跡)
春の旅しばらく歩いて御手洗池
春の旅御手洗池は小さくて
春の旅池に朱色の橋架かる
御手洗池橋の近くに山吹が
春の旅橋を渡れば不動尊
春の旅前のお堂に不動尊
春の旅御手洗不動が目の前に
㊟御手洗不動・・・御手洗池(みたらしいけ)は、江戸中期に流行した富士・大山詣の道者達が、旅立ちにあたって心身を清め水垢離をした禊場で、傍らには石造りの不動尊が祀られていました。明治以降に鉄道などの交通機関が発達して気軽に富士・大山詣でができるようになると、この禊場は利用されなくなっていき、1962年、不動尊は龍福寺の山門脇に建立された不動堂へ移されました。近年、地元の方が雑草を刈るなどの整地を行い、御手洗池を復元。その際、池の傍らにお堂を建立し、金銅の不動尊と聖観音を祀りました。所在地 東京都板橋区小豆沢4-17(板橋区HPより転載)
※御手洗(みたらし)・・・神仏を拝む前に参拝者が手や口を洗い清める所。
⦿「御手洗不動(東京都板橋区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千五百七十五)》
春の旅鈴を鳴らして合掌す
池傍の古木の桜七分咲き
公園の古木の桜七分咲き
※公園・・・ここでは、小豆沢公園(あずさわこうえん)のこと。後述。
春の旅都道を渡り川方面
※都道・・・ここでは、東京都道311号環状八号線のこと。
東京都道311号環状八号線(とうきょうとどう311ごう かんじょうはちごうせん)は、東京都大田区羽田空港から、世田谷区、杉並区、練馬区、板橋区を経由して、東京都北区赤羽に至る環状(実際には半円状)の都道(主要地方道)。
路線名は都市計画道路事業名である「東京都市計画道路幹線街路環状第8号線」に由来する。
「環八通り(かんぱちどおり)」「環八」の通称で呼ばれる。(Wikipediaより転載)
春の旅歩いて程なく船着場
春の旅「水上バス」と看板に
春の旅目に「水上バスのりば」
春の旅板に「水上バスのりば」
⑫水上バス小豆沢船着場
春の旅ここは小豆沢船着場
春旅に水上バスの船着場
㊟水上バス小豆沢船着場・・・この場所は、昔、小豆沢河岸と呼ばれ、船運の要所として賑わった場所です。現在は隅田川・荒川・臨海部をむすぶ水上バスの発着所となっており、葛西臨海公園や両国へ船の旅を楽しむことができます。所在地 東京都板橋区小豆沢4-28(板橋区HPより転載)
⦿「水上バス小豆沢船着場(板橋区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千五百七十六)》
春の旅船着場には待合所
待合所建物脇にタンポポが
待合所蒲公英近くにハルジオン
・・・・・・・・・・・
● 令和六年五月二十九日 水曜日
○ 四月日々折々 その十四 花見客
《今回の自選代表二句と自句自解》
新河岸川桜のバックに大橋が
水色の新河岸大橋前に花
天気予報通り朝からよく晴れた令和六年四月二日(火)に、中山道の板橋宿巡りの志村コースの散策を楽しむ。
十二番目の目的地は、水上バス小豆沢船着場。新河岸川はすぐ近くに流れている。川伝いには、桜の並木。今は四分咲き。背景の水色の新河岸大橋に薄いピンクの桜の花がよく映えて見える。
(四月上旬 中山道の板橋宿巡り C志村散策コース その十四)
春日浴ぶ河岸の広場に親子連れ
㊟河岸の広場・・・ここでは、小豆沢河岸広場のこと。
小豆沢河岸広場(東京水辺ライン小豆沢発着所)
東京都板橋区小豆沢4丁目、新河岸川沿いにある公園が、小豆沢河岸広場(あずさわがしひろば)。東京水辺ラインの小豆沢発着場(水上バス小豆沢発着所)があり、震災などの時に利用できる川港にもなっています。江戸・東京と川越を結んだ舟運時代には小豆沢河岸があった場所です。
新河岸川舟運の小豆沢河岸が、水上バスの発着所に!
新河岸川の舟運は、寛永10年(1633年)の川越大火によって炎上した川越小仙波の東照宮の再建の用材を、舟で運んだのが始まり。
新河岸川は岩淵水門近くで隅田川に合流し、幕末から明治初期には川越藩が整備した川越五河岸(扇河岸、上新河岸、下新河岸、牛子河岸、寺尾河岸)とを結ぶ舟運が、全盛期を迎えています。
小豆沢河岸は中山道との接点にもあたり、重宝されたのです。
幕末に江戸と川越を結ぶ早船(夜行便)は、一晩寝ているうちに江戸に着いたことから「川越夜舟」と呼ばれて重宝されていました。
ただし、現在の新河岸川は、明治43年8月11日の荒川大洪水(志村一帯の浸水は4m〜5m)を契機に、荒川の蛇行を直線化(東京都立浮間公園と板橋区立舟渡水辺公園は旧荒川の蛇行した河道跡)、荒川放水路開削工事が行なわれ、現在の都内区間を大正時代に人工運河 として開削したもの。
人工運河の開削後も舟運は盛んに行なわれましたが、大正3年に川越と池袋を結ぶ東上鉄道(現・東武東上線)が開通し、昭和初期に役割を終えています。
かつての小豆沢河岸は、蛇行する荒川にあり(現在の新河岸川)、小豆沢という地名も中世(平安時代)、小豆を積んだ船がこの地の入江に沈んだことに由来するといわれています(『新編武蔵風土記稿』)。
昭和48年に新河岸川の護岸壁が完成し、往時ののどかな小豆沢河岸の風景は失われ、代わって平成元年5月20日、小豆沢河岸広場が整備されています。
公益財団法人東京都公園協会の運航する東京水辺ライン。
小豆沢発着所からは、葛西臨海公園や両国へ船の旅を楽しむことができますが、残念ながら定期便ではなく、不定期便の「いちにちゆらり旅」(隅田川・荒川・東京湾を一日かけて周遊するコース/小豆沢乗船、小豆沢下船の場合は5時間30分の船旅)。(東京トリップより転載)
⦿「小豆沢河岸広場(東京水辺ライン小豆沢発着所)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 番外)》
新河岸川川沿い桜の並木道
㊟新河岸川・・・新河岸川(しんがしがわ、しんがしかわ[2])は、埼玉県及び東京都を流れる一級河川。荒川水系隅田川の支流[3]である。
地理[編集]
武蔵野台地北部に降った雨を集めた伏流水や入間川(笹井堰)からの水田用水を水源とする赤間川が、埼玉県川越市上野田町の八幡橋付近で新河岸川と名前を変え、起点となる[4]。川越の市街地の北側を回り込むように流れた(ここは途中の田谷橋まではかつての赤間川である)後で、川越市大字砂付近で不老川、川越市大字南田島付近で九十川と、次々に流れ込む支流を合わせながら荒川の西岸沿いを流れて、東京都北区の岩淵水門先で隅田川に合流する[5]。上流から川越市、ふじみ野市、富士見市、志木市、朝霞市、和光市、板橋区、北区を流れる。(Wikipediaより転載)
川沿いの桜並木は四分咲き
新河岸川堤にちらほら花見客
新河岸川お花見しながら川べりを
春風に吹かれて川べり歩きゆく
新河岸川囀り耳に川辺行く
並木道囀り耳に歩きゆく
新河岸川桜のバックに大橋が
水色の新河岸大橋前に花
新河岸川堤から見る花景色
新河岸川しばし楽しむ花景色
春の旅川を後に神社へと
春の旅階段登り丘上へ
➁「人気ブログランキング」への「応援クリック」(ポチ)を頂ければうれしいです。ご協力ありがとうございます。力と励みになります。
なお、①「にほんブログ村 」は、「飯島治蝶の俳句ブログ」のブログ名・ブログ紹介欄の末尾に載せています。

この記事へのコメント