菜の花(令和6年5月20~21日掲載分)
◎ 菜の花(令和六年五月二十~二十一日掲載分)
● 令和六年五月二十日 月曜日
○ 四月日々折々 その五 菜の花
《今回の自選代表三句と自句自解》
春の旅粋な植栽寺境内
境内の植栽は粋寺の春
春の旅居心地の良き寺境内
天気予報通り朝からよく晴れた令和六年四月二日(火)に、中山道の板橋宿巡りの志村コースの散策を楽しむ。
三番目の目的地は、古刹の長徳寺。樹木や植物の多い境内に桜が咲き、休憩所やトイレもあり、居心地の良い環境が整備されている。しばらく花見をしながら境内でくつろがせて頂いた。粋なおもてなしに心を打たれた。
(四月上旬 中山道の板橋宿巡り C志村散策コース その五)
春の旅西へと歩いて広場着く
※広場・・・ここでは、「大原町緑の広場」のこと。
「大原町緑の広場」に囀りが
旅先の広場の桜四分咲き
広場過ぎ行く道路傍に菜の花が
③ 長徳寺
春の旅しばらく歩いて長徳寺
㊟長徳寺・・・真言宗豊山派の寺院で、挙一山遍照院と号しています。創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に再興しています。平安時代の阿弥陀如来像(区文化財)は平泉の中尊寺に安置されていたとされ、平安後期の作と考えられます。所在地 東京都板橋区大原町40-7(板橋区HPより転載)
旅先の寺境内に木蓮が
旅先の寺境内に花椿
長徳寺古木の桜四分咲き
春の旅粋な植栽寺境内
境内の植栽は粋寺の春
春の旅長徳寺にて合掌す
長徳寺休憩所傍に連翹が
㊟連翹(レンギョウ)・・・【レンギョウ】
・日本及び中国を原産とするモクセイ科の落葉低木。丈夫な性質を持ち、日本全国の公園や道路の植え込み、寄せ植えの花木として広く使われる。レンギョウが日本へ渡来したのは平安時代初期あるいは江戸時代(1681~1683)で、当初は薬用植物として扱われた。
・英語ではゴールデンベルと呼ばれ、その名のとおり春になると枝一面に鈴のような黄色い花を鮮やかに咲かせる。狂い咲きも多く、真冬以外はチラホラと花を咲かせる。(庭木図鑑 植木ペディアより転載)
⦿「連翹(レンギョウ)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 番外)》
春の旅休憩処で小休止
長徳寺連翹愛でつつ一休み
春の旅居心地の良き寺境内
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● 令和六年五月二十一日 火曜日
○ 四月日々折々 その六 桜
《今回の自選代表二句と自句自解》
春の旅土器説明をご僧侶が
春旅に数多な土器を鑑賞す
天気予報通り朝からよく晴れた令和六年四月二日(火)に、中山道の板橋宿巡りの志村コースの散策を楽しむ。
五番目の目的地は、別名「土器寺」と呼ばれている常楽院。ここで、五僧侶から、前野町式土器類の説明を受けた。また、かなりの数の土器などを見学で来た。また、縄文時代から今日まで人々暮らしてこられたこの地にも感銘を受けた。合掌。
(四月上旬 中山道の板橋宿巡り C志村散策コース その六)
④ 熊野神社
春の旅しばらく歩いて熊野神社
㊟熊野神社・・・中世末期頃に紀伊の熊野那智大社より勧請されたとされています。御祭神は伊佐那岐命(いざなぎのみこと)、伊佐奈美命(いざなみのみこと)です。所在地 東京都板橋区前野町3-38-3(板橋区HPより転載)
春の旅神社近くにビバホーム
※ビバホーム・・・ビバホーム板橋前野店(ホームセンター) 住所 東京都板橋区前野町3-37-18 最寄り駅は志村坂上駅
⑤ 春の旅住宅街抜け熊野神社
春風に熊野神社の幟揺れ
春日浴びる鳥居の額に熊野宮
熊野社の額付き鳥居の背に桜
熊野社の境内の桜四分咲き
⑥ 常楽院
春の旅歩いて程なく常楽院
㊟常楽院・・・真言宗豊山派の寺院。創建は室町時代末期と推定されています。周辺から出土した土器を収蔵していることから「土器寺」と呼ばれています。所在地 東京都板橋区前野町4-20-8(板橋区HPより転載)
(追記)
常楽院(じょうらくいん)は、東京都板橋区にある真言宗豊山派の寺院。
概要[編集]
江戸時代初期、賢鏡(1680年寂)によって開山された。山号の「熊野山」という関係からか、区内の前野町の東熊野神社や前野町の西熊野神社や熊野町の熊野神社の別当寺でもあった。
当寺は幕末期に寺子屋を開いている。当寺が所蔵している杉戸絵には、寺子屋の子供のいたずら書きも残されている[4]。
当院周辺は「前野町遺跡」と呼ばれる遺跡があり、多くの弥生土器が出土している。これらの土器は弥生時代末期を象徴する土器ということで「前野町式土器」と呼ばれている。
当院はこの前野町式土器を収蔵していることから、別名「土器寺」と呼ばれている[1]。(Wikipediaより転載)
(追記)
「前野町遺跡出土弥生土器」とは・・・「前野町遺跡」は武蔵野台地の縁部に広がる集落跡で、昭和13年から14年にかけて、杉原荘介が発掘調査を行い、出土した土器は弥生時代終末の「前野町式土器」として設定されました。
同時期に「常楽院」に転住した守山聖眞は、寺院周辺の区画整理で掘り出された遺物の収集と保存に尽力し、昭和36年に杉原荘介は「常楽院」、明治大学博物館所蔵の資料を図示し、「前野町式土器」を再定義しました。
「前野町式土器」は、壺、台付甕、高坏、鉢、器台、小型壺で構成され、土師器の研究が進む過程で、「前野町式土器」の中には、古墳時代初頭の土師器が含まれていることが明らかとなり、現在、これらの土器は、弥生時代終末から古墳時代初頭の時期に位置付けられています。(「前野町遺跡出土弥生土器」由緒書きより転載)
⦿「常楽院(東京都板橋区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千五百七十)》
春の旅門前左右の幟揺れ
春日浴びる門・本堂に五色幕
常楽院門前の桜四分咲き
常楽院植栽・花壇春景色
春の旅植栽見事な常楽院
春の旅常楽院を参詣す
春旅に「土器寺」の会館へ
春旅に「土器寺」の収蔵庫
春の旅土器説明をご僧侶が
春旅に数多な土器を鑑賞す
春の旅僧侶に礼述べ寺を辞す
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