鴨(令和5年3月5~6日掲載分)


◎ 鴨(令和五年三月五~六日掲載分)
● 令和五年三月五日 日曜日 
○ 十二月日々折々 その十 山茶花
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬日浴び静女之墳(しずじょのはか)に手を合わせ 
冬の晴近くに義経招魂碑 

 冬晴れの朝、宇都宮線蓮田駅に到着した。東口近くの和菓子店の三笠屋 静御前店の隣地には、静御前の墓がある。平安末期から鎌倉初期、今から八百有余年前に、源義経(牛若丸)に永遠の愛を誓い、若くしてその生涯(享年二十一)を終えた静御前。
 早速、静御前の墓参りをした。近くには、義経招魂碑が建立されている。合掌。

(十二月中旬 日光道中 栗橋宿巡り その六)
静御前墓傍の歌碑に冬日射
冬旅に静御前の墓参り
冬日浴び静女之墳(しずじょのはか)に手を合わせ 
※静女之墳(しずじょのはか)・・・正面の大きい静女之墳はレプリカ。本物は墓の左の厨子の中に納められている。参拝可能。久喜市の史跡。
冬の晴近くに義経招魂碑 
八つ手咲く静御前の墓近く
静や静八つ手の花咲く墓域かな 
静や静墓域に銀杏の散黄葉 
冬日浴び墓の近くの神社へと
行く道や路傍に猫の日向ぼこ 
➁一言神社
実南天一言神社の境内に
㊟一言神社(ひとことじんじゃ)・・・鎮座地  久喜市栗橋中央1-1046
 侍女の琴柱(ことじ)は亡くなった静の妄念を鎮めるため祠・一言明 神を経蔵院内に建て、そこで一生を送りながら、里の人たちに唄や舞を教えたと言われている。静を慕う琴柱の活躍によって、長い間、途切れることなく、栗橋と静の関係が残されている。現在は墓所の隣地にある。(久喜市HP 栗橋宿より転載)
(追記)
 記紀神話において一言主命がが雄略天皇大和国葛城山で出会ったという故事が残されており、一言であればいずれの願いもかなえてくれるという神であるという。さらに利根川対岸にあたる茨城県境町猿山と茨城県水海道市大塚戸にも一言神社があり、同様の伝承が残っているという。
 利根川流域近くの栗橋では、近年まで大雨洪水に悩まされていた一方、昭和30年代までは雨乞いの行事が盛んにおこなわれていたという。治水に悩みながら、作物に必要な雨に悩むことも多かったのだろう。『延喜式』臨時祭条という記述の中には祈雨神八十五座というのがあって、大和国の一言神社が列しているという。
 雨乞いは作物の被害が出そうになるとおこなわれ、まず氏子一同が当社に集まり、若い衆二三人がご神体の御幣をもって東の香取神社まで向かった。その際必ず宝地戸池を泳いだという。
 香取神社へ到着すると御幣は本社へ納められ降雨が祈願される。一言神社は香取神社の居候となり心苦しいから、七日以内に雨を降らせるのだという。雨が降るとお礼参りをし、御幣は一言神社へ戻される。ただしあまりの効果に年に二回行うと大雨になったという。(口コミより転載)
⦿「久喜市の一言神社について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百五十)》
一言社銀杏の落葉境内に
一言社ピンクの山茶花境内に
冬の旅一言神社にて参拝
冬の旅妻と鎌倉古道行く

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● 令和五年三月六日 月曜日 
○ 十二月日々折々 その十一 鴨
《今回の自選代表句と自句自解》

旅先の宝治戸池に鴨群れて 

 冬晴れの朝、宇都宮線蓮田駅に到着した。北西方向に歩いて十分程で、宝治戸池(ほうじどいけ)に着いた。池には、五六羽の鴨が群れていた。長閑な池の光景である。

(十二月中旬 日光道中 栗橋宿巡り その七)
冬の旅しばらく歩いて池に着く
③宝治戸池
冬の旅宝治戸池(ほうじどいけ)が目の前に
㊟宝治戸池・・・宝治戸池(ほうじどいけ)は、埼玉県久喜市栗橋北に所在する池である。
 概要[編集]
 1742年(寛保2年)に発生した浅間川(利根川旧流路の一つ)の氾濫により形成された池である。かつては現在よりも広い池であったが、埋め立てなどにより今日では周囲が約350 m程となっている。別名として大池(おおいけ)とも称されている。(Wikipediaより転載)
⦿「宝治戸池(ほうじどいけ)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百五十一)》
冬日浴び一面明るい宝治戸池
冬日浴び一面明るき宝治戸池
旅先の宝治戸池に鴨群れて 
旅先の宝治戸池に群れし鴨
旅先の宝治戸池に枯草が
宝治戸池池面に冬の日反射して
宝治戸池池辺に水仙群れて咲き
宝治戸池池辺の畑に大根が

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