冬の霧(令和5年3月3~4日掲載分)


◎ 冬の霧(令和五年三月三~四日掲載分)
● 令和五年三月三日 金曜日 
○ 十二月日々折々 その八 冬の霧
《今回の自選代表五句と自句自解》

旅先の蓮田駅付近冬の霧 
車窓より次第に白む冬景色 
白岡駅周辺一面冬の霧 
白岡駅周辺濃霧に包まれて 
栗橋駅近づくほどに冬晴れに 

 今年、日光街道 埼玉六宿巡りを企画し今回六回目。いよいよ令和四年十二月十四日(水曜日)の今朝、最後の栗橋宿巡りに妻と出立する。
JR松戸駅から常磐線で上野駅まで行き、上野駅から宇都宮線で栗橋駅へ向かう。
 途中の大宮駅付近では車窓から、赤や白の山茶花が、また葉っぱを落とした実のたわわな柿の木や線炉縁の枯草が目に飛び込んでくる。もうすっかり冬の景色だ。ちょっとした旅なので、宇都宮線の車窓の冬景色をしばらく楽しむことにする。
 そうこうするうちに蓮田駅付近からいきなり冬の霧が出てきた。白岡駅付近を通過する頃は。一面霧で真っ白。とても幻想的な冬景色となった。霧が晴れたのは栗橋駅に近づいたころであった。蓮田駅付近では、冬田が奥まで広がっている光景が見られた。

(十二月中旬 日光道中 栗橋宿巡り その四)
旅先の蓮田駅付近冬の霧 
車窓より次第に白む冬景色 
白岡駅周辺一面冬の霧 
㊟白岡駅・・・白岡駅(しらおかえき)は、埼玉県白岡市小久喜(こぐき)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。(Wikipediaより転載)
白岡駅周辺濃霧に包まれて 
栗橋駅近づくほどに冬晴れに 
車窓より見える田圃に冬の鷺
栗橋駅近づくほどに冬田見え
車窓より冬田広がる景色見え
両側に冬田広がる景色見え
冬の旅上野駅より一時間

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● 令和五年三月四日 土曜日 
○ 十二月日々折々 その九 冬
《今回の自選代表四句と自句自解》

冬の旅駅降り妻と三笠屋へ 
冬の旅先ずお土産の和菓子買う 
冬旅に妻「静御前最中」買う 
冬旅に「静まんじゅう」買い求む 

 令和四年十二月十四日(水曜日)の朝十時。冬晴れ。順調に蓮田駅に到着した。東口近くの和菓子店の三笠屋 静御前店に立ち寄り、「静御前最中」や「静まんじゅう」などを買い込んだ。隣地には、静御前の墓がある。

(十二月中旬 日光道中 栗橋宿巡り その五)
冬の旅駅の到着朝十時に
冬の旅妻と栗橋駅で下車
冬の旅栗橋周辺よく晴れて
冬の旅駅の周辺住宅地
冬の旅栗橋駅前商店街
冬の旅駅降り妻と三笠屋へ 
※三笠屋・・・三笠屋 静御前店 住所埼玉県久喜市栗橋中央1丁目2−7−2
冬の旅先ずお土産の和菓子買う 
冬旅に妻「静御前最中」買う 
冬旅に「静まんじゅう」買い求む 
① 静御前の墓
冬の旅隣りに静御前の墓
冬の旅駅傍に静御前の墓
㊟静御前の墓・・・源義経の内妻であった静御前の墓と伝えられています。
 静御前は、義経を追って奥州に向かう途中、義経の死を知り、文治5年(1189)9月15日に当地で亡くなったと言われています。当地には高柳寺と呼ばれる寺があったので、静御前は寺の境内に埋葬され、墓上には杉の木が植えられました。
 高柳寺はその後、中田(現在の茨城県古河市)に移転し、光了寺と名を改めています。
 当地には静御前の墓が残されましたが、墓に墓標がなかったため享和3年(1803)に勘定奉行・関東郡代であった中川飛騨守忠英により建立されました。墓上の杉の木は弘化3年(1846)の洪水により枯れてしまい、その後銀杏が植えられています。(久喜市HPより転載)
 栗橋駅前の旧静村伊坂にあり,源義経が兄頼朝の追手を逃れて,奥州へ下ったあと,義経をしたってこの地まで来た静御前が,病に倒れて没したところだという。静御前の墓と伝えられる墓石は周囲に石の柵をめぐらし,義経招魂の碑や歌碑も建てられている。所在地 埼玉県久喜市栗橋中央1-2-10(全国 観るなびサイトより転載)
⦿「静御前の墓について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百四十九)》

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