冬日向(令和5年2月13~14日掲載分)


◎ 冬日向(令和五年二月十三~十四日掲載分)
● 令和五年二月十三日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その三十 冬日向
《今回の自選代表句と自句自解》

冬旅に大川図書の墓参り  

 十一月下旬の冬晴れの日。草加宿歩きを楽しむ。昼食後に、前から訪れたかった古刹の東福寺を訪問した。草加宿の基礎を築いた大川図書が創建したと伝わる寺である。ここの墓地に大川図書は眠っている。参拝後、大川図書の墓参りをした。合掌。

(十一月下旬 「日光街道 草加宿歩き(後編)」その十四)
冬旅に立ち寄る草加不動堂
冬旅に合掌草加不動尊
冬の旅寺に延命地蔵尊
冬の旅不動明王境内に
※不動明王・・・不動明王は土台と切り離されており、お参りをする前に持ち上げて、参拝後に再度持ち上げると軽く感じると言われている。そうなれば、願いが叶うという。
冬の旅寺境内に仏足石
㊟仏足石・・・仏足石(ぶっそくせき)は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。(Wikipediaより転載)
冬日向寺境内に仏足石
冬晴れの本堂前にて参拝す
冬の晴鰐口鳴らし合掌す
冬旅に大川図書の墓参り  
㊟大川図書(おおかわずしょ)・・・大川図書(?~1619)は草加宿開拓者の一人で、かつては土本氏を名乗る武士であり、小田原北条氏に仕えていたが、天正十八年(1590)年小田原落城によって浪人となった。一時期、岩槻に落ちていたが、徳川家康の天下統一後、朋友の伊奈備前守の計らいにより草加の地に土着したという(『草加宿由来』『草加市史』)。
 新田の開拓、農業の奨励、寺院の建立などの功績が大きく、東福寺を建立し墓所がある(『草加市史』)。
 大川家は、大川図書の直系である大川本家(打出大川家)と図書弟の系列の中大川家、その息子の系列の下大川家があった。大川本家が代々の草加宿本陣を務めていた(『草加歴史民俗資料館資料』)。
 大川図書屋敷は現在の草加小学校辺り(草加宿本陣の裏手)に近年まであったが、今は開発されて遺構は残っていない。土手(「外山・とやま」)を構える屋敷だった。
 一方、中大川家は明治天皇の宿所となった豪家だったが、こちらも開発されて面影はない。(埼玉の城サイト「大川図書屋敷」より転載)
⦿「大川図書について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百三十七)》
冬日浴び図書の墓前で合掌す
冬の晴我懇ろに供養して
老夫婦冬の日浴びて墓参り
東福寺滝落つ池辺に冬紅葉
東福寺滝落つ池辺の冬紅葉

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● 令和五年二月十四日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その三十一 冬日
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅その後尼僧と歓談す 

 十一月下旬の冬晴れの日。草加宿歩きを楽しむ。昼食後に、前から訪れたかった古刹の東福寺を訪問した。草加宿の基礎を築いた大川図書が創建したと伝わる寺である。ここの墓地に大川図書は眠っている。参拝後、大川図書の墓参りをした。合掌。
 その後、東福寺の尼僧と寺の歴史や大川図書の話などで歓談した。

(十一月下旬 「日光街道 草加宿歩き(後編)」その十五)
冬日向お寺の池に錦鯉
冬の旅その後尼僧と歓談す 
冬の旅御朱印頂き寺を辞す
冬の旅もと来た道へ参拝後
冬の旅再び神明稲荷通り
冬の旅再び東方向へ
冬の旅角の路傍に地蔵尊
冬の旅角を曲がって線路沿いを
冬の旅行く道歴史散策路
冬日浴び駅前一番通り行く

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