冬の昼(令和5年2月11~12日掲載分)
◎ 冬の昼(令和五年二月十一~十二日掲載分)
● 令和五年二月十一日 土曜日
○ 十一月日々折々 その二十八 冬の昼
《今回の自選代表句と自句自解》
店主らと会話楽しむ冬の昼
十一月下旬の冬晴れの日。よろずキッチン 恵登屋(えとや)の店内で昼食を楽しんだ。時折、店主と女店員との会話も楽しんだ。話題は、お店の建物の歴史、レトロな生活用品、蔵と店内の芸術作品や「じゅん散歩」ロケなど。食後も、コーヒーを啜りながらゆっくりと夫婦でくつろぐことができた。
(十一月下旬 「日光街道 草加宿歩き(後編)」その十二)
冬の旅蔵に銀杏のミニチュアが
冬の観る実朝有縁の大銀杏
※実朝有縁の大銀杏・・・源実朝が暗殺された事件現場の鎌倉・鶴岡八幡宮の大石段の脇にそびえる大銀杏(いちょう)のこと。
冬に観る銀杏ミニチュアに細やかさ
冬の旅ミニチュア店の親戚と
冬の昼牛すじ煮込みカレー食む
冬の昼食後のコーヒー楽しめり
店主らと会話楽しむ冬の昼
冬の昼会話の中に「じゅん散歩」
㊟「じゅん散歩」・・・『じゅん散歩』(じゅんさんぽ)は、テレビ朝日で2015年9月28日より放送されている紀行・情報・通販番組であり、高田純次の冠番組である。(Wikipediaより転載)
冬の昼レトロな店に癒されて
冬の昼頃合い図り店を辞す
冬の旅妻と一丁目交差点
※一丁目交差点・・・神明一丁目交差点のこと。
冬の旅昼食後妻と古刹へと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 令和五年二月十二日 日曜日
○ 十一月日々折々 その二十九 冬の晴
《今回の自選代表四句と自句自解》
冬の晴「三鈷の松」を手で拾い
冬の晴三葉の松拾い上げ
冬の晴三葉の松を財布へと
冬の晴「三鈷の松」を財布入れ
十一月下旬の冬晴れの日。草加宿歩きを楽しむ。昼食後に、前から訪れたかった古刹の東福寺を訪問した。草加宿の基礎を築いた大川図書が創建したと伝わる寺である。ここの墓地に大川図書は眠っている。
この寺には有名な三鈷杵と同じ三葉の松「三鈷の松」がある。縁起物として落葉した松葉を、お財布に入れて置くとお金が貯まると言われているで、早速三葉の松「三鈷の松」を財布に入れた。合掌。
(十一月下旬 「日光街道 草加宿歩き(後編)」その十三)
冬の旅右折し神明稲荷通り
冬の旅通りを東方向へ
冬の旅しばらく歩いて東福寺
㊟東福寺・・・江戸時代には日光街道沿いの宿場町として栄えた、草加宿の基礎を築いた大川図書が創建したと伝わる寺院です。1606(慶長11)年に大川図書が創建し、僧賢宥が開山したといわれています。境内には、1862(文久2)年造立の刻銘のある基壇の上に、鐘楼が立っています。江戸時代末期の雛型本を基本に設計され、絵様は立川流を基本しています。
境内の墓地には大川図書の墓があり、池の南側には、江戸時代中期の医師で東都落語の中興の祖といわれる石井宗叔の碑があります。山門、鐘楼は市指定文化財に登録され、「草加八景」の一つに数えられています。(Yahoo !ロコより転載)
住所:埼玉県草加市神明1-3-43
⦿「東福寺(草加)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百三十三)》
冬の旅山門潜り境内に
㊟山門・・・この山門は、正面の柱間3.03メートル、妻(つま=奥行)は2.57メートルの棧瓦葺(さんがわらぶき)の四脚門(しきゃくもん)です。
四脚門は四足門(よつあしもん)ともいわれ、本柱の前後に控柱(ひかえばしら)が四本立つことから名付けられました。本柱は、礎石(そせき)上に立ち、柱頭は冠木(かぶき)を架し、控柱は、粽(ちまき)を付して礎盤(そばん)上に立っています。
江戸時代の木割書(きわりしょ)によって造営されていますが、一部手法は桃山期に成立した木割書『匠明(しょうめい)』と規を同じくしています。
妻虹粱(つまこうりょう)の下端を大きくくりあげて、中央の三斗(みつど)を安定した組物(くみもの)にした点など、細部については、工匠の熟練した技術がうかがえます。
各部の絵様(えよう)彫刻は温和で古様であり、冠木(かぶき)上の彫刻は、宗祖・弘法大師(こうぼうだいし)に由来した見事な彫刻を配し、元冶2年(1865年)銘を持ち、彫工・後藤常重(ごとうつねしげ)の非凡な刀痕(とうこん)が見られ、よくまとまった四脚門の遺構です。(草加市HPより転載)
⦿「東福寺(草加)の山門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百三十四)》
冬の旅参道を脇に鐘楼が
㊟鐘楼・・・この鐘楼は、石積みの基壇上に建ち、柱の間二メートル七十二センチの方形である。絵様彫刻は立川流を基本とし、彫刻は江戸に近い関係で、当時の優秀な技法が見られる。基壇に「文久二年七月再造立」(一八六二)の刻銘があり、時代が判明する。この建物は、当時の優秀な工匠によって造営されたと推定され、数少ない本市の文化財として貴重な寺院建築物といえる。(草加市教育委員会掲示より)
⦿「東福寺(草加)の鐘楼について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百三十五)》
冬の旅参道を脇に「三鈷の松」
㊟「三鈷の松」・・・「弘法大師が唐より帰国される折、日本において真言密教を広めるのにふさわしい場所を求めるため、唐から三鈷杵(さんこしょう)という法具を投げた所、雲に乗って飛んで行きました。
後に、お大師様が高野を訪れた所、唐から投げた三鈷杵が松に引っかかっており、この地を密教を広める場所としたそうです。その松は三鈷杵と同じく三葉の松であったので『三鈷の松』として祭られるようになりました。
現在は縁起物として落葉した松葉を持ち帰り、お財布に入れて置くとお金が貯まると言われています」とあります。(寺の説明書きより転載)
⦿「三鈷の松について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千二百三十六)》
冬の旅鐘楼付近に「三鈷の松」
冬の晴「三鈷の松」を手で拾い
冬の晴三葉の松拾い上げ
冬の晴三葉の松を財布へと
冬の晴「三鈷の松」を財布入れ
《「応援クリック」のお願い》
➁「人気ブログランキング」への「応援クリック」(ポチ)を頂ければうれしいです。ご協力ありがとうございます。力と励みになります。なお、①「にほんブログ村 」は、「飯島治蝶の俳句ブログ」のブログ名・ブログ紹介欄の末尾に載せています。

この記事へのコメント