秋闌ける(令和4年12月23~24日掲載分)
◎ 秋闌ける(令和四年十二月二十三~二十四日掲載分)
● 令和四年十二月二十三日 金曜日
○ 十月日々折々 その三十 秋闌ける
《今回の自選代表二句と自句自解》
秋の旅問屋場稲荷(といやばいなり)にて合掌
十月中旬。雲一つない秋晴れ。旧日光街道の杉戸宿巡り。本陣跡や問屋場跡地域に入った。重要な役割を果たしていた杉戸宿の問屋場。その裏手に位置していていた伊奈稲荷神社は、「問屋場稲荷」と呼ばれたという。当時の花柳界の信仰も集めて、当時の多くの人間ドラマが垣間見えるようだ。往時を偲び合掌。
杉戸宿往時を偲ぶ秋の旅
十月中旬。雲一つない秋晴れ。先ほど、ホリエ洋品店の方に、ご丁寧に教えて頂いた本陣跡地の門がすぐ目に入った。本陣門である。長瀬家がその任にあたり、建坪およそ166坪半であったという。残された門から、往時を偲ぶことができた。東西の脇本陣跡にはなかったシーンであったため、宿場巡り大好き人間の私には、感深いものがあった。
さらに、「本陣跡地前」という交差点を渡ると 三井住友信託銀行の店先に「明治天皇御小休止阯」の碑が建っていた。この辺りは、江戸期においては、杉戸宿の問屋場が置かれ旅人の荷物の輸送と宿泊の調整が行われていたという場所だ。ここでも、往時を偲ぶことができた。
(十月中旬 旧日光街道杉戸宿巡り その二十三)
秋の旅銀行裏手に稲荷社が
秋の旅交差点先に稲荷社が
※稲荷社・・・ここでは、伊奈稲荷神社のこと。旧街道を少し逸れた信託銀行の裏手に伊奈稲荷神社という小さな神社。杉戸宿の問屋場の裏手に位置していて「問屋場稲荷」と呼ばれたという。地元の花柳界の信仰を受けていた。
⦿「伊奈稲荷神社(杉戸町)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千百八十七》
秋の旅交差点先に伊奈稲荷
秋の旅信号脇に伊奈稲荷
秋の旅こじんまりとした稲荷社が
秋晴に神社の境内明るくて
秋の晴石鳥居潜り稲荷社に
秋の旅鰐口(わにぐち)鳴らし手を合わす
秋の旅問屋場稲荷(といやばいなり)にて合掌
秋の旅来た道戻り交差点
秋の旅交差点角に銀行が
秋の旅交差点角は問屋場跡
秋の旅問屋場跡はすぐ前に
秋の旅前の角地が問屋場跡
㊟問屋場跡(といやばあと)・・・問屋場跡
杉戸宿の問屋場は下町にあった。現在の三井住友信託銀行の場所。
問屋場では 4組(上町・河原組・内蔵組、中町・舎人組・与左衛門組、下町・雅楽組、新町・上杉戸組)から選人された4人の問屋(人馬を差配する監督職)と年寄(問屋の補佐役)、帳付(出納や事柄を帳面に書き付ける役職)、馬差(馬の用立てや運輸の指図をする役職)などが詰めていた。
大名や旗本、日光門主、幕府役人などが日光道中を通行する際、先触れといっ た書類が杉戸宿の問屋場に届けられ、大 名などの宿泊や休憩、荷物の輸送状況などの情報を得た。
これと共に、杉戸宿に来る予定の大名の家臣は問屋場を訪れ、本陣や旅籠の手 配のため、本陣役や旅籠組合総代と打合わせ、問屋は必要な旅籠の数は本陣や旅 籠組合に連絡し、輸送するために必要な人馬の数は助郷会所に連絡した。
このように問屋場はすべての情報が集まるので、本来の業務である荷物輸送のみでなく、他の役職への連絡や調整業務もあり、宿場で最も重要な役割を担っていた。(歩く地図でたどる日光街道24より転載)
⦿「杉戸宿の問屋場跡(といやばあと)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千百八十八》
秋の旅目に御小休所阯
㊟御小休所阯(ごしょうきゅうどころあと)・・・ここでは、明治天皇御小休所阯のこと。
明治九年(1876)六月三日、明治天皇は奥羽御巡幸の途中、杉戸に立ち寄り、ここで5分間の休憩をとられました。
この御小休止を記念して昭和十一年に建てられたのが、明治天皇御小休止阯です。碑には、「明治天皇明治九年奥羽御巡幸ノ際六月三日此ノ地ニ御辰憩シ給ハル乃チ碑ヲ樹テテ之ヲ不朽ニ伝ヘントス」と刻まれています。
また、この題字は、西郷隆盛の甥にあたる西郷従徳の手によってかかれたものです。(杉戸町HPより転載)
(追記)
「本陣跡地前」という交差点を渡ると 三井住友信託銀行の店先に「明治天皇御小休止阯」の碑が建っている。
当時、県の第六区区務所が置かれていて、東北巡幸に際して休憩を取ったのだとか。
江戸期においては、杉戸宿の問屋場が置かれ旅人の荷物の輸送と宿泊の調整が行われていたという。(『歴史をたずねる旅』サイトより転載)
⦿「杉戸町の御小休所阯(ごしょうきゅうどころあと)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千百八十九》
杉戸宿往時を偲ぶ秋の旅
秋闌けるまだまだ続く宿場巡り
秋闌けるまだまだ続く杉戸巡り
秋の日の杉戸宿巡り面白し
秋高し杉戸宿巡り楽しくて
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● 令和四年十二月二十四日 土曜日
○ 十月日々折々 その三十一 柿
《今回の自選代表二句と自句自解》
秋の旅程なく鎮守の神明社
秋の旅ここ新町の鎮守様
十月中旬。雲一つない秋晴れ。旧日光街道杉戸宿巡り。今、新町エリアに入っている。この神明神社は杉戸宿新町の鎮守で、「神明様」として親しまれているという。
(十月中旬 旧日光街道杉戸宿巡り その二十四)
秋の旅路傍に旅籠釘屋跡
㊟旅籠釘屋跡・・・籠屋 釘屋嘉右衛門宅跡
旅籠屋釘屋嘉右衛門宅跡 上の写真(割愛)の車が止まっている家が旅籠 屋釘屋嘉右衛門宅跡で、釘屋は十返舎一九が書いた「奥羽一覧道中膝栗毛」に出てくる宿、内容は先生である延高、築羅房、野次郎兵衛、喜多八の4人で旅籠屋 釘屋嘉右衛門宅に泊まった事が記されている。(地図でたどる日光街道24より転載)
旅籠「扇屋」「釘屋」は屋号が残り、看板が目につく。「釘屋」は十返舎一九の滑稽本「奥羽一覧道中膝栗毛」にも登場し、当時の様子が活写されている。杉戸宿の漢方医、虎屋善蔵は「とらや薬局」として今も名を伝える。(大人の遠足サイトより転載)
⦿「旅籠釘屋跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千百九十》
秋に知る釘屋跡今材木店
※釘屋跡今材木店・・・釘屋跡(くぎやあと)は、現在は篠原木材店となっている。いわゆる「ウナギの寝床」と称される間口が狭く、奥行きがある間取りに当時の面影がある。
秋旅に名主問屋渡辺宅跡
※名主問屋渡辺宅跡・・・名主問屋渡辺長左衛門宅跡 上の写真右は、名主問屋渡辺長左衛門宅跡で子孫渡辺徳太郎は初代杉戸町長。(歩く地図でたどる日光街道24より転載)
秋の旅しばらく歩いて神明社
秋の旅程なく鎮守の神明社
㊟神明社・・・神明神社(しんめいじんじゃ)
神明神社は杉戸宿新町の鎮守で、「神明様」として親しまれています。毎年7月の八坂祭りでは「天王様」と呼ばれ、夏まつりで賑わいます。境内には神輿を納める神輿庫があります。石造りの常夜灯が2台ありましたが、現在は土台石のみが残っています。(「日光街道杉戸宿の歴史を巡る」サイトより転載)
住宅街の中にぽっりと空地があり、そこに白い鳥居と小さな拝殿が建っている。古くからある地元の鎮守で、夏祭りの時はとても賑わうという。(「街道を行く」サイトより転載)埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸2-12-26 アクセス 東武動物公園駅東口から徒歩約10分
⦿「神明神社(杉戸宿新町)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その千百九十一》
秋の旅ここ新町の鎮守様
秋の旅新町北側鎮守様
秋の旅社の境内に各末社
秋の旅社の境内に神輿庫が
旧街道民家の庭に柿たわわ
秋の旅旧道路傍に巴湯が
㊟巴湯(ともえゆ)・・・明治末期の創業以来100年以上。平成30年(2018年)に廃業された。住所 埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸3丁目3-6
秋の旅旧道右に扇屋が
㊟扇屋(おうぎや)・・・現在は洋品店を営んでいるが、江戸時代は旅籠(はたご)であった。旅籠当時の屋号「扇屋」を今も受け継いでいる。住所 埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸3丁目6-2
秋の旅道対面に幸松屋
秋の旅近くに杉戸高校が
㊟杉戸高校・・・埼玉県立杉戸高等学校(さいたまけんりつすぎとこうとうがっこう)は、埼玉県北葛飾郡杉戸町清地一丁目にある公立高等学校である。(Wikipediaより転載)
旧道沿いキバナコスモス明るくて
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